2020年9月29日、紀伊國屋サザンシアターにて『ワーニャ、ソーニャ、マーシャ、と、スパイク』を観劇。クリストファー・デュラングの芝居を劇団民藝が上演したものです。 他の芝居のパロディーや劇作家への言及が多くあり面白かったです。イプセン、ニール・サイモン、シェイクスピアの名が登場人物の口から発せられ、ジュリアス・シーザーに出てくる予言のパロディーがあり、カッサンドラという人物も登場するという、良い意味で雑多なものでした。デュラングは『役者の悪夢』という芝居も書いているので、劇を劇に取り込むことに人一倍関心がある人なのだろうと思いました。 そしてタイトルから予想できた通り、チェーホフの芝居を彷彿とさせるものでした。アルカージナを思わせる女優、ワーニャ伯父さんと呼ばれる初老の男性、『かもめ』のニーナのよな若い女性(本作での名前もニーナ)などが登場します。実はアメリカのペンシルベニアが舞台の話ですが、あまりにチェーホフらしいのでロシアが舞台の話だと終盤まで思い込んでしまったほどでした。劇中で「それはチェーホフからの引用」というような台詞も言われていたので、メタ的な面白さがありました。個人的には、教師を悪く言うというチェーホフあるある(?)まで組み込まれていたところに笑ってしまいました。 とは言え、チェーホフの真似や継ぎ接ぎだけでは終わらず、本作は違った結末を迎えていました。ニーナは純粋なままで、桜の園のような主人公たちの家は結局売りに出されず、ハッピーエンドのようでした(喜劇・悲劇の定義はさておき…)。チェーホフの劇とデュラングの本作の比較において、最も興味深かったのは劇中劇の場面です。『かもめ』ではトレープレフが、本作ではワーニャが芝居を執筆し、上演させます。が、どちらも中断させます。『かもめ』では、新しい芸術を理解してもらえず若いトレープレフが悩みますが、本作では、懐かしい芸術や文化を若者に理解してもらえずワーニャが怒ります。若者から大人への不満か、大人から若者への不満か、という違いこそありますが、世代の違いによってすれ違いが起こるという点では似ていると思いました。以前『かもめ』を観た時、「私も年を重ねればこの芝居の見え方が変わるかも」と思ったのですが、この作品に対しても同じことが言えそうです。再演したらいいな。 (写真を撮り忘れてしまいました…。)