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Much Ado About Nothing at Royal Shakespeare Theatre

2022年2月9日、Royal Shakespeare TheatreにてMuch Ado About Nothingを観劇(3時間30分、休憩込み)。私にとって、大学時代に演じたこともある、思い入れのある作品です。

初日
私は初日に観劇するのが好きで、今回も初日のチケットを買いました。私はこの上演を世界で最初に目撃した、という気持ちになるからです。芝居は観客がいて成り立つ、とよく言われますが、その一部となって作品の誕生に立ち会えることを幸せに思います。

ドン・ペドロ
アラゴンの領主のドン・ペドロという登場人物がいますが、この上演では女性化され、ドン・ペドラと名前も変えられていました。男性の役を女性の役に変えることは珍しくなく、昨年12月にサム・ワナメイカー・プレイハウスで観劇した『尺には尺を』の公爵を想起させるものでした。
2幕1場で、ドン・ペドロはヒアローという女性を口説きます(彼女に恋をしたクローディオの代わりとしてですが)。ドン・ペドロが女性化されると、女性が女性を口説く構図になります。今回の『から騒ぎ』は、同性を口説くことを良しとする世界観でした。多様性が問われるこの時代に合わせた演出かなと思いました。

マーガレットとアーシュラ
『から騒ぎ』には、マーガレットとアーシュラという2人の侍女が登場します。原作(台詞内)にはない試みですが、今回の公演パンフレットによると、マーガレットはヒアローの侍女、アーシュラはビアトリスの侍女というように役割分担がされていました。そうすると、マーガレットの方がアーシュラよりもヒアローに近い存在として見えてきます。そんなマーガレットが、知らなかったとはいえヒアローを陥れてしまうというプロットは、ヒアローの悲劇性を高めるものだと思いました。

原作との違いが多く、はじめは戸惑いましたが、視覚的にも聴覚的にも鮮やかで楽しめる上演でした!

(Caution: this post includes the content of a production. If you're going to see the production, you might not want to read this post before you see it.)
On 9 February 2022, I saw and heard Much Ado About Nothing by William Shakespeare at Royal Shakespeare Theatre. I attended the opening night. I like attending the opening night, because it makes me feel that I am the first person in the world who witness the production.
There are some differences between this production and Shakespeare's original. Don Pedro is changed to be a woman, named Don Pedra. This change reminds me of the feminized Duke (Duchess) in Shakespeare's Globe's Measure for Measure (2021). When Don Pedro is feminized, it seems that a woman woos a woman in Act 2 Scene 1 when Don Pedra woos Hero on behalf of Claudio. I think the worldview of this production admits homosexuality, although it does not highlight it.
According to its programme, Margaret and Ursula, two gentlewomen, are specified that Margaret serves Hero and Ursula serves Beatrice. This makes me think that Margaret is closer to Hero than Ursula to Hero, unlike Shakespeare's original. Such Margaret, although she did not intend to, wrongs Hero. That boosts Hero's tragedy, I think.
With such differences, this production was surprising but interesting.






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