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Much Ado About Nothing at The Cockpit

2022年3月22日、The CockpitにてMuch Ado About Nothingを観劇(2時間30分、休憩込み)。21人の役を5人の役者が演じるという大胆な試みでした!
5人の役者しか出演しないと知った時、役を大幅にカットして小規模な上演になるのかなと思いましたが、役のカットはほぼなしで上演されていたので驚きました。出演場面の被らない役で一人二役、三役、四役…というキャスティングは見たことがありましたが、同じ場面で同じ役者が二人以上の人物を演じるというキャスティングは珍しいと思いました。例えば、一人の女優がヒアローとレオナートを同時に演じたり、一人の俳優がクローディオとアントーニオを同時に演じたりしていました。眼鏡をかければヒアロー、杖をつけばレオナート、というように、小道具によって役を演じ分けていました。役者たちは声や表情の切り替えが素早く、衣装やメイクを変えなくても本当にその役に見えたので器用だと思いました。
どの役を同じ役者が演じていたのかは、以下の通りです。
・男性役者1:クローディオ、ボラチオ、アントーニオ、マーガレット
・男性役者2:ドン・ペドロ、修道士フランシス、夜警、アーシュラ、伝令
・女性役者1:ヒアロー、レオナート、セクストン、夜警
・男性役者3:ベネディック、ドグベリー、コンラッド
・女性役者2:ビアトリス、ドン・ジョン、バルサザー、ヴァージス、小姓
役の入れ替わりが激しいと言っても、最後は二組のカップルとドン・ペドロが欠けることなく舞台上にいて、役の振り分け方が見事だと思いました。

On 22 March 2022, I saw and heard Much Ado About Nothing by William Shakespeare at The Cockpit. Only five actors played 21 characters!
When I knew there were five actors, I had imagined there would be accordingly five characters, but I was wrong. To my surprise, actors sometimes change his or her roles on the stage. For example, one actor played Hero and Leonato in the same scene, and another actor played Claudio and Antonio in the same scene. They used props to express particular roles: when an actor wore glasses she became Hero, when she had a walking stick she became Leonato, and so on. They switched their voice and facial/physical expression well, so they looked like their roles indeed without changing costumes or makeup.
Here are the sets of characters played by each actor.
-Male actor 1: Claudio, Borachio, Antonio, Margaret
-Male actor 2: Don Pedro, Friar Francis, Watch, Ursula, Messenger
-Female actor 1: Hero, Leonato, Sexton, Watch
-Male actor 3: Benedick, Dogberry, Conrade
-Female actor 2: Beatrice, Don John, Balthazar, Verges, Boy
Although they changed their roles frequently, the two couples and Don Pedro, who were main roles, were on the stage in the end. When I saw the scene, I thought they made the casting smartly.







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