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卒業アルバム / Yearbook

大学からイヤーブック(卒業アルバムのようなもの)が届きました。日本のものと異なるところがあり、面白いと思ったので記事にします。
まず、郵送される時期についてです。実はまだ修士論文の成績が出ておらず、修了できるかも分からないのに、イヤーブックが届き、早いなと思いました。日本では、卒業式の日に渡されるか、卒業式後に郵送されるか、どちらにしても卒業が決まってからです。
次に、掲載される写真についてです。私が今通っている大学に限った話かもしれませんが、載せてほしい顔写真を学生自身がアップロードするというやり方でした。それなので、証明写真を載せた学生から、普段の自然な写真を載せた学生、アプリを使った自撮りを載せた学生までいて、写真に統一感はありませんでした。日本では、小中高大いずれにしても、学校にカメラマンの人が来て撮影が行われるので、統一感があると思います。
写真とプロフィール(専攻や在籍年度、国籍など)の他に、"my philosophy"を書く欄もありました。人生観を表す名言のようなものですね。日本ではそれを問われることがなかなかないので、何を書こうか迷いました。人生観を問われるとは、西洋の大学らしいなと思いました。

I received a yearbook from the university that I attend. It was slightly different from Japanese one, so I wrote this post.
First, when it is published is strange for me. Actually, I haven't received the result of my dissertation yet and I don't know if I can graduate. It's so early to receive a yearbook. In Japan, we receive it on the day of the graduation, or it is posted after the day of the ceremony.
Next, the selection of students' photos is interesting. Each student uploaded the photo that he or she wants to be included in the yearbook. Some students used their ID photos, some chose natural photos taken in daily lives, and some uploaded selfies taken by beauty apps. In Japan, a photographer comes to schools (either primary, secondary, high schools or universities) to take photos of every student. 
When I applied for the yearbook, I was asked "my philosophy" in addition to other information such as my major, the period I attended the university, and my nationality. It was hard for me to answer what is my philosophy, because it is not common to talk or write about one's philosophy in Japan.

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