2024年11月9日、吉祥寺シアターにて『十二夜』を観劇(2時間30分、休憩込み)。変装した登場人物や、取り違えられる双子に興味があるので、ヴァイオラとセバスチャンの場面を中心に感想を書きます。
まず、第3幕第4場で、アントーニオから「セバスチャン」と呼び掛けられ、兄が生きているのではないかと希望を持ったヴァイオラの傍白が印象に残りました。シェイクスピアの原文では、10行にわたる傍白の途中で、サー・トービーの台詞が挿入されています。ヴァイオラはそれに気付かないほど、兄の安否に集中しているということです。しかし観客の立場からすると、兄が生きているかもしれないという劇的な場面の台詞が突然分断されるようで、サー・トービーの台詞の後でヴァイオラの傍白に集中し直すのが難しいな、と思っていました。今回の上演では、サー・トービーの台詞が途中になかったので、希望を持つヴァイオラの視点に没入することができました。
次に、セバスチャンと遂に再会したヴァイオラが、自分のアイデンティティーを明かす時の演出が良かったです。自分がヴァイオラだと言う時(観客も彼女の本名を知るのはこの時が初めてなのですが)、彼女は男装に使っていた帽子を取り、長い髪を見せました。この演出は、2021年にロンドンのグローブ座で観たTwelfth Nightの演出と似ていると思いました。その時のヴァイオラは、ダブレット(男性用の上着)を舞台上で脱いでいました。当時の感想にも書きましたが、このような演出は、本当に女性の姿に戻れるのかという問題をはらんだヴァイオラのこの先を、明るいものとして提示するものだと思います。
最後に、フェステが歌う間の演出についてです。幕切れのフェステの歌の間、他の登場人物は、カップルや関わりのある人物同士、寄り添ったり、背中合わせに座ったりするという演出でした。そんな中、ヴァイオラとセバスチャンも背中合わせに座っていたのですが、その二人をオリヴィアが抱き締めていたので、驚きました。実は、今回の上演では、フェステとオーシーノーが一人二役で演じられていたので、フェステが歌っている間は、ヴァイオラ&オーシーノーおよびセバスチャン&オリヴィアをペアにしておくことが不可能だったという都合もあると思います。しかし、もしかしたら、ヴァイオラとセバスチャンはシザーリオという像を通して、オリヴィアの目には同一人物として映っていたからかもしれない、とも想像しました。
シェイクスピア作品の中で最も観る機会の多い作品の一つ、考えながら観劇できて面白かったです。
On 9 November 2024, I saw and heard Twelfth Night by William Shakespeare at Kichijoji Theatre in Tokyo. As I'm interested in a disguise and twin characters, I focus on Viola and Sebastian.
First, when Viola is called Sebastian by Antonio, she thinks her drowned brother might be alive. In Shakespeare's text, Viola says so in her 10-line-long aside. In the middle of the aside, Sir Toby's line in inserted. Because of the insertion, I have often had difficulty focusing on Viola's line as an audience. However, this production didn't make Sir Toby intervene, so I could focus on Viola's feelings in this dramatic scene.
Next, when Viola sees Sebastian again, she reveals that she is Viola. Saying so, she took off her hat and showed her long hair in this production. This acting reminded me of the performance of Twelfth Night (at Shakespeare's Globe in 2021), in which Viola took off her doublet on stage. I like these directions because Viola, who will have trouble in having woman's garments again in the text, can go back to the female appearance on stage.
Lastly, while Feste sang at the end of the play, other characters sat in pairs in this production. Viola and Sebastian sat together, and to my surprise, Olivia embraced two of them together. I thought this was because of the casting; Feste and Orsino were played by one actor, so while Feste was singing, it was impossible to make a pair of Viola and Orsino and a pair of Sebastian and Olivia. However, there might be another reason; Olivia perhaps saw Viola and Sebastian as the identical (I mean "the same" here rather than identical twins) through the figure of Cesario.
As it made me think a lot, I enjoyed the production.