2026年7月4日、SPAC(静岡芸術劇場)で『ハムレット』を観劇(2時間20分、休憩なし)。
ハムレットの死後、オフィーリアの視点から潤色した『ハムレット』と謳われていましたが、オフィーリアが「あの時こう思った」などと語るわけではありませんでした。実際のところ、ハムレットの物語を観客に聞かせようと一人登場したホレイシオのもとに、オフィーリアを名乗る者たちが11名出てきて、自分たちでハムレットの物語を語り直そうということになる構成でした。そして、オフィーリアたちの一人ひとりがハムレットになったり、クローディアスになったりして劇が進むというものでした。それなので、オフィーリアたちが再現するという枠組みを借りた『ハムレット』そのもののようでした。その点は予想外でしたが、チラシや公式サイトにある「オフィーリアの視点」という表現の定義は難しいところですよね…。
そんな中、ホレイシオ役の役者はホレイシオのみを演じていました。また、オフィーリアたちの中でホレイシオを演じた人もいませんでした。その意味で、ホレイシオのみがリアルな人間として存在していました(もちろん舞台上でのことなので、完全に現実世界の人間というわけではありませんが)。ホレイシオの語りは時々主観を含んでいて、「ハムレットはそんなことを言わないはず」といった台詞もありました。ハムレットの親友ですから、そういった言葉が含まれるのは頷けることです。
一方、オフィーリアたちによる『ハムレット』の再現は、劇場で上演される芝居のように見えたので、各場面や出来事を「(主観を含まない)そういうもの」として受け止めることができました。オフィーリアの視点も入っているとは思いますが、ホレイシオの一人語りと比べると、オフィーリアたちのやり方の方が客観的に見えました。
ホレイシオの語りと、オフィーリアたちの再現、どちらが正しいとか間違いとかの問題ではないですし、主観的/客観的の良し悪しを決めるものでもありません。ただ、二つの視点を通して、真実とは何か、演劇とは虚構なのか、そういったことを考えるきっかけとなる上演でした。一週間前にシアター風姿花伝で『ハムレット』を観劇したばかりということもあり、演劇らしさについて考えを巡らせることが多いこの頃です。
…と、堅い書き方になってしまったので、最後にカジュアルな感想を一つ。今回のホレイシオ、語ることをハムレットに託された親友とだけあって、よく喋る!こんなに喋るホレイシオを見たのは初めてかも。新鮮で面白かったです。
On 4 July 2026, I saw and heard an adaptation of Hamlet at Shizuoka Performing Arts Center in Shizuoka.
It was interesting in that 11 Ophelias appeared in front of Horatio, who was there to tell a story of Hamlet to the audience. Ophelias tried to reenact Hamlet's story. One of them turned into Hamlet, another into Claudius, and so on, so it looked like just a play of Hamlet played by Ophelias, not by actors.
The play or reenactment by Ophelias seemed more objective than the story told by Horatio. It is plausible for Horatio to be more subjective as he is a close friend to Hamlet. However, in the original play of Hamlet, Horatio is supposed to be more objective in contrast with Ophelia who is described to be mad. Such a conversion of subjective/objective and a matter of truth were stimulating. Also, such bold direction reminded me of another production of Hamlet, which I had seen a week before.
