Skip to main content

Posts

Showing posts from July, 2026

無伴奏ソナタ@サンシャイン劇場

2026年7月22日、サンシャイン劇場にてミュージカル『無伴奏ソナタ』を観劇(2時間45分、休憩込み)。2024年のミュージカル版初演を観て以来、再演を待ち望んでいた作品だったので、今回観劇できて嬉しかったです。 ミュージカル版初演の時には、 当時の記事 に書いたように、役と役者の関係が興味深いと思っていました。それは今回も感じたのですが、2年経った今の感想としては、芸術とは何だろう?人生とは何だろう?といった、より深いところが頭に浮かんでくる上演でした。この2年で世の中が変わったから、カンパニーのメンバーが上演をパワーアップさせたから…と色々な要因があると思いますが、私自身この2年で環境が変わったので、注目ポイントも変わったのかもしれない、と思います。 芸術について 原作がSF小説ということもあり、設定が特殊なのですが、この作品の世界においては、全国民の職業が幼児期のテストで決定されることになっています。主人公のクリスチャンは、作曲家(作中では「メイカー」と呼ばれていました)として生きることが決められます。音楽にかかわる職業は他にもありますが、この「メイカー」は人類の宝のように扱われていて、クリスチャンは親元から引き離され、政府の施設で暮らし、厳しい監視の中、作曲に励む…という生き方をします。ここで「厳しい」と書いたのは、多くの禁止事項が含まれているからです。その中でも、私の心に引っ掛かったのは、メイカーは既成の音楽を耳にしてはならない(周りの人物も、他の人が作曲した音楽を聞かせたり、既にある音楽や楽器に関する情報をメイカーに与えたりしてはならない)という法律でした。クリスチャンは、それが当然と思って30年ほど生きてきたので抵抗する様子もないのですが、現実世界の観客にとっては首を傾げたくなる話です。この法律を持ち出す側の言い分としては「真の芸術はゼロから生まれる」とのことです。これに反対する登場人物もちゃんといて、その人は「芸術は皆模倣から生まれる」と言っていました。もし自分の立場を問われたならば、私も後者の側ですが、どちらが正しいという話以前に「ゼロからor模倣から」という構図を見て取れたことが面白かったです。一応、私も院生・研究者としてやってきたので、この2年で見方が変わったのかな。 人生について そのように生きてきたクリスチャンですが、行き詰まった時、法律を...

ロミオとジュリエット@Pit昴

2026年7月10日、Pit昴にて『ロミオとジュリエット』を観劇(2時間5分、休憩なし)。 終わり方が印象的でした。例えるなら、二歩進んだ新しさ、という感じでしょうか。従来のエンディングと、それに対する最近の上演での傾向、その両方への反応と思える演出でした。 『ロミオとジュリエット』をシェイクスピアが書いた通りにやると、両家の和解で終わります。これは綺麗な終わり方ですが、理不尽なことも多い現代の視点で見ると、綺麗事にも見えてしまいます。その違和感への反応だと推測しますが、最近の上演では、両家が和解しないまま終わったり、形式的に握手はするけれど皆が睨み合ったままであったり、時には従者が突然銃を構えて皆殺しにしたり…と、様々な演出があります。それらは、現代社会への問題提起としては意義のある演出だと思うのですが、やりすぎるとカタルシスを感じることもなくただ怖い上演になってしまう可能性があります。 今回の『ロミオとジュリエット』は、その中間に位置付けられる演出だったと思います。ここからはネタバレ注意なのですが、ロミオとジュリエットの死後、まず、キャピュレットとモンタギューが握手をします。伝統的で綺麗な終わり方かと思ったところで、不穏な音楽と照明とともに序詞役が登場し、新たな憎しみが生まれることを暗示します。悲劇は繰り返されるということで、やはり最近の上演らしい終わり方か…と思ったところで、今度はロミオとジュリエットが登場します。亡霊としてか、回想としてか、見方は観客次第ですが、二人はバルコニーの場面での台詞をもう一度言うのでした。この演出を観た時、社会が荒んでも、大人たちが汚くても、ロミオとジュリエットだけは純粋なのだと思い、綺麗だと思いました。現実味のある部分を見せられた後だからこそ、芝居ならではの美しさが際立って見えました。そういった意味で、喜劇とは違うあたたかさを感じた上演でした。 On 10 July 2026, I saw and heard Romeo and Juliet by William Shakespeare at Pit Subaru in Tokyo. It had an impressive ending, which I thought was a reaction to recent productions, which themselve...

ハムレット@SPAC

2026年7月4日、SPAC(静岡芸術劇場)で『ハムレット』を観劇(2時間20分、休憩なし)。 ハムレットの死後、オフィーリアの視点から潤色した『ハムレット』と謳われていましたが、オフィーリアが「あの時こう思った」などと語るわけではありませんでした。実際のところ、ハムレットの物語を観客に聞かせようと一人登場したホレイシオのもとに、オフィーリアを名乗る者たちが11名出てきて、自分たちでハムレットの物語を語り直そうということになる構成でした。そして、オフィーリアたちの一人ひとりがハムレットになったり、クローディアスになったりして劇が進むというものでした。それなので、オフィーリアたちが再現するという枠組みを借りた『ハムレット』そのもののようでした。その点は予想外でしたが、チラシや公式サイトにある「オフィーリアの視点」という表現の定義は難しいところですよね…。 そんな中、ホレイシオ役の役者はホレイシオのみを演じていました。また、オフィーリアたちの中でホレイシオを演じた人もいませんでした。その意味で、ホレイシオのみがリアルな人間として存在していました(もちろん舞台上でのことなので、完全に現実世界の人間というわけではありませんが)。ホレイシオの語りは時々主観を含んでいて、「ハムレットはそんなことを言わないはず」といった台詞もありました。ハムレットの親友ですから、そういった言葉が含まれるのは頷けることです。 一方、オフィーリアたちによる『ハムレット』の再現は、劇場で上演される芝居のように見えたので、各場面や出来事を「(主観を含まない)そういうもの」として受け止めることができました。オフィーリアの視点も入っているとは思いますが、ホレイシオの一人語りと比べると、オフィーリアたちのやり方の方が客観的に見えました。 ホレイシオの語りと、オフィーリアたちの再現、どちらが正しいとか間違いとかの問題ではないですし、主観的/客観的の良し悪しを決めるものでもありません。ただ、二つの視点を通して、真実とは何か、演劇とは虚構なのか、そういったことを考えるきっかけとなる上演でした。一週間前にシアター風姿花伝で 『ハムレット』 を観劇したばかりということもあり、演劇らしさについて考えを巡らせることが多いこの頃です。 …と、堅い書き方になってしまったので、最後にカジュアルな感想を一つ。今回のホレイシオ、語る...

聖なる炎@たましんRISURUホール

2026年7月1日、たましんRISURUホールにて『聖なる炎』を観劇(2時間40分、休憩込み)。2023年に 俳優座劇場で観劇 した時から好きだと思っていたので、また観ることができて嬉しかったです。 劇中の台詞にあるように、人間は矛盾を抱えていたり、二面性があったりします。事故により半身不随になったモーリスは、無理に明るく振る舞いますが、弱音を吐ける相手には弱いところを見せていました。モーリスの妻のステラは、彼を裏切る行為をするけれど、完全な悪人ではなく、かなりの葛藤を見せていました。モーリスの世話をする看護婦(今回の上演では「看護婦」という表現が使われていました)は、一見冷たい人物ですが、人を愛する気持ち、思いやりの心、相手を尊敬すること、などは忘れていません。そういった矛盾や二面性を見られるのは、演劇ならではのことで面白いです。さらに、そういった「ずれ」が違和感にならなかったのは、役者の演技が丁寧だったからだと思います。 このキャスティングで、好きな作品の再演を観ることができて良かったです! On 1 July 2026, I saw and heard The Sacred Flame by William Somerset Maugham at Tamashin Risuru Hall (Tachikawa Civic Hall) in Tokyo. I saw the play in 2023 at another venue but with the same company, and I liked the play since then. I was glad to see it again. As a character says in the play, anyone has contradictions. In this play, for example, Maurice, who got seriously injured by a plane crash, tries to be cheerful or sometimes too blithe. In fact, however, he is depressed about the hard life due to the injury. His wife, Stella, betr...

ハムレット@シアター風姿花伝

2026年6月27日、シアター風姿花伝にて『ハムレット』を観劇(2時間50分、休憩込み)。以下、ネタバレ注意です。 小規模な劇場で、実験的な作品を見ることができたように思い、面白かったです。そう思う理由は主に二つあって、一つは前半部分、もう一つは後半部分で特に感じたものでした。 一つ目は、言葉遣いです。平易な言葉での上演、というのは観劇前から知っていた情報でした。それを聞いて私が想像していたのは、物事の呼び方が身近な名詞に変えられているとか、動詞や形容詞が大袈裟じゃないとか、そういう単語レベルでの平易さでした。しかし実際には、演劇の台詞調/日常の喋り言葉という二項対立のような気がして、今回の上演は後者の方だったと思います。日本語での上演でしたが、今回の出演者の中には普段の喋り方と同様に、助詞を高く発音したり伸ばしたりしている人もいました。それが良い悪いという話ではなく、普段の喋り言葉と演劇の台詞は違うのだと実感することができ、演劇らしさについて考えるきっかけとなりました。もちろん、カジュアルな言葉遣いだから話が伝わりやすい、という点も良かったです。 二つ目は、役の入れ替わりです。基本の配役は決まっているのですが、時々、役を入れ替えてある場面をもう一度繰り返す、という手法が見られました。最初は驚きましたが、役者と役の関係において「誰にでもなれる」という演劇の可能性を感じる演出でした。一点目と同様に、演劇らしさを問いかけてくるような上演だったと思います。 そういった意味で、面白い公演でした。 (Caution: contains a spoiler.) On 27 June 2026, I saw and heard Hamlet by William Shakespeare at Theater Fuushikaden in Tokyo. It was interesting in two ways. Both points gave me opportunities to think about what theatre/drama is. First, characters spoke their lines in daily Japanese. Its verbal simpleness was advertised beforehand, so at fir...